天井川・流れ橋 その後

Submitted byshin on日, 2011-10-16 22:04

以前思いつきでやった 天井川めぐりなんだけど、ふと工事の看板を見ると、「10月26日まで」になっていたので、このコンクリートの橋が無くなってしまう前にもう一度行こうかなぁと思った訳

橋の西詰にできた回避道が反対側に繋がって(道路の地下を渡す工事もちょっと前に終わっている)いて( この写真に対応する前回の写真は、 これと、 これ)橋はすでに機能していない。


…っていうか、橋の東詰の土手はすでに削られて平地になっていたりする。


削られてしまった工事現場の様子はこっち。
ちなみに、写真を撮るのに工事現場に入る為に工事現場の方に挨拶したついでにちょっと話をしたら、今回の工事では橋は無くならないんだけど、この後に続く工事のどこかの段階で橋は無くなってしまうらしい。ちなみに、今ある回避道は一時的なもので別のものになるとのこと。
多分その頃には興戸駅の橋もなくなるんだろうな。


これは南側からの景色
いづれこの風景がなくなる訳だ。
ちょっと寂しい気がする



ついでに、 流れ橋のその後も見てきた訳なんだけど、 橋板ぎりぎりまで達した水は引いて、いつもの木津川に戻っていた。
ただ、川面が反対岸の方まで後退してしてしまって、カヌーを移動させるのが大変な事に気づいた(いや、今度流れ橋をゴールに下ろうって話があったので下見を兼ねた見学だったのだよ//やっぱり背割まで頑張らないとダメかな?)。


橋の正面から見たらこんな感じ。
柵が無かったら絶対歩くんだけどな。

今秋、防賀川を調べました。防災考古学的研究をおこなうグループの一員です。天井川の景観はいつから形成されてきたのでしょうか。多くの研究者は近世以降と推測しますが、発掘調査や自然科学的な年代測定を積み重ねてくると、その出発は中世の14世紀頃である可能性がみえてきました。ちなみに防賀川は流路と堤体が切り下げられつつありまして、掲載画像地点はすでに川としての役割を終えています。貴重な遺産が消えつつあることがとても残念です。せめてたくさんデータを作成して、研究成果を今後お知らせしていきたいと思っています。今回のようにたくさん撮影していただくこと、そのものが遺跡保護活動にあたります。
なお、
ダンポポさんに先程同じコメントを書かせていただきました。

初めまして、ランドスケープアーケオロジストさん。
# "landscape archaeologist"という言葉を初めて聞きました。

タンポポの種さんの記事を見つけました。

奈良で生まれた訳でもなく(といっても30年近く経ちますが)、田辺付近の天井川に強い思い入れがあるわけではなく、 純粋に、こういう素朴な(&貴重な)風景がいつの間にか消えてしまうのがもったいないと感じて、調べたのですが、体系だった風景の記録が無く (一番詳しい所で、防賀川位でした)、 少しだけ残しておこうと思ったのが一連の記事のきっかけです。

あくまで通りがかりの人間の立場なので、 昔水害が多かった (dmp)とか、 切り下げした後は、建物や道路になって交通の便が良くなるんだよ とかいう話( ここ (dump))に反論などできないのですが、 寂しいものがあります。

ランドスケープアーケオロジストさんの調査を公開する機会がありましたが、是非教えてください。
今後の研究が進むことを祈っています。